言語化することは情報共有をすること


  • 公開:
  • 更新:
  • 編集:
概要 ▶  今日、営業系の方とお話ししたことは前日に引き続いてホームページについて。 (文体が変かもしれませんがお許しを) お客様からの問い合わせをほとんど網羅する形でFAQ(よくある質問と回答)を作成し、社員間で共有、およびホームページにてその内容を公開することで、お客様にぶれのない回答サービスが可能になるという。 こうやって書くとたいしたことではないかもしれないが、お客様の質問は多種多様で、その種類はか
 今日、営業系の方とお話ししたことは前日に引き続いてホームページについて。
 (文体が変かもしれませんがお許しを)

 お客様からの問い合わせをほとんど網羅する形でFAQ(よくある質問と回答)を作成し、社員間で共有、およびホームページにてその内容を公開することで、お客様にぶれのない回答サービスが可能になるという。

 こうやって書くとたいしたことではないかもしれないが、お客様の質問は多種多様で、その種類はかなりの数になる。

 これを他の人がわかる形で言語化(→文字化)する作業は非常に困難な作業の様に思える。しかし、考えてみれば、営業の方は電話口では話しているのだから、それをそのまま文字化すればよい。お客様が話しているものを録音(記憶)し、自分が話した言葉を録音してそれをそのまま書き写せば良いではないか。正にそこに真実の姿がある。

 話し言葉と書き言葉は違うというし、国語教育界でもそれは当たり前の様に叫ばれ、常識化している。しかし、だからといって共に日本語であり、まったく違うものでもないことも私たちは知っている。

 営業がやらなくてはならないことは、論理的・物理的に違うなどの論争をすることではなく、お客様のために/会社運営のために何をすればよいのかを考えればよい。電話口で話しているのは営業なのだから、やりとりのすべてをそのまま書き記し、あとは書き言葉が得意な人に直してもらえばよいだけなのではないか。数が多いなら分担して行えばよいのではないか。

 営業それぞれがその場しのぎの話をしている様では、電話を受けたときには対応がその場その場で変わってしまい、お客様からの信用を失う。信用を積み上げるのは困難だが、崩れ去るのは一瞬だ。一筋の共通した認識・情報を持つことが信用・信頼を得る当たり前の条件なのではないだろうか。
カテゴリー:

このページをぜひシェアしてください